㉞ 東進と五瀬命の戦死

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⛵ 東征のはじまりと五瀬命の最期

高千穂宮で相談し 東の地を目指し出発を決意する 筑紫国の宇沙で 足一騰宮のもてなしを受ける 岡田宮に1年、安芸国の 多祁理宮に7年滞在する 吉備の高島宮に 8年滞在する 亀の甲に乗った国つ神が現れ 道案内に加わる 白肩津で登美毘古の軍勢と戦い 五瀬命が矢を受ける 「日を背に戦うべき」と南へ回り 血沼海で手の血を洗う 紀伊国の男之水門で 五瀬命、力尽きる 紀伊国の竈山に 御陵が築かれる 兄の死を越え、東征の旅はさらに続いていく

「ばあちゃん、神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこ五瀬命いつせのみことはどうしたん?」

「うん、二人は高千穂宮におったんやけど、どこに行ったら天下を安定させられるか相談したんや。それで、東の方に都を求めて出発することにしたんや。」

「それで、どこに行ったん?」

日向ひむかから筑紫国つくしのくにへ向かったんや。宇沙都比古うさつひこ宇沙都比売うさつひめという人たちが、足一騰宮あしひとつあがりのみやを作っておもてなしをしてくれたんや。」

「筑紫国の次は?」

「筑紫国からさらに岡田宮おかだのみやに一年滞在して、その後、安芸国あきのくに多祁理宮たけりのみやに七年間滞在したんや。」

「長い間いたんやなぁ。」

「うん、その後、吉備きび高島宮たかしまのみやに八年間滞在して、その国から進むと、亀の甲に乗った者がやってきたんや。」

「亀の甲に乗った者?それは誰やったん?」

「その者は国つ神くにつかみで、海路をよく知ってる言うたんや。それで、神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこに従うことになったんや。」

「その後どうしたん?」

「五瀬命は、浪速渡なみはやのわたりを経て白肩津しらかたのつに船を停めたんや。その時、登美毘古とみびこが軍勢を起こして待ち受けてたんや。」

「それで、どうなったん?」

「戦いになって、五瀬命は登美毘古(那賀須泥毘古)が放った矢を受けてしまったんや。五瀬命は、『日の神の子として、日向きで戦うのは良くなかった』と感じたんや。」

「それで、どうしたん?」

「五瀬命は南から回って進んで、血沼海ちぬのうみで手の血を洗ったんや。その海を『血沼海』と名付けたんや。」

「その後、紀伊国きいのくににはどう行ったん?」

「紀伊国の男之水門おのみなとに至って、戦いの傷を振り返りながら死んでしまったんや。だから、その水門は『男の水門』と名付けられたんや。」

「五瀬命の御陵はどこにあるん?」

「紀伊国の竈山かまやまにあるんやで。彼の死後、その地域では彼の名が伝えられ、敬われてるんや。」

目次

今日のかみさま

名前読み方役割
神倭伊波礼毘古命かむやまといわれびこ東征を率いた、後の神武天皇
五瀬命いつせのみこと神倭伊波礼毘古命の兄。戦いで命を落とした
登美毘古とみびこ白肩津で立ちはだかった国つ神
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この記事を書いた人

- 名前: トシ
- 年齢: 1965生まれ
- 職業: フリーランス
- 出身地: 大阪
-「神社巡り400社以上達成、御朱印収集と旅の楽しさをブログで発信」

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